それから
他のブログには、書いたけど、ここでも、
ダンナのことを報告しておかないといけないな。
そだよな。だって、私の近況の中では、多分人生で1.2を争う衝撃の出来事。
9月10日AM2時(夜中・・!)に、かねてから闘病中でありましたダンナが、亡くなりました。57歳でした。
9月2日時点では、ばあちゃんの月一の通院に車で送ってくれた位だったのに。(その時、「大丈夫?別にタクシーでいくよ。」と言った私に、「なんだか今日は気分がいいんだ。行けそうな気がする。」と答えたダンナ)
しかし翌日9月3日には、息が苦しく、尋常でない体の異変を感じたらしい。
それなのに、ガンセンターへの思い断ち切れず、入院させてほしいなどと主治医に電話で頼み込んでた(息も絶え絶え)。しかし、主治医からは、「もう治療はできないし。ホスピスに面接して許可をもらったってことで、既にそちらに移行済みだから、そちらに入院してください。」
というような意味のことを言われ。仕方なくその面談済みであったポスピスのある某病院へ電話した私。丁度先生はいなかったけど、事態を察して、伝言してくれたようで「入院させますから、すぐ来なさい」と許可が。
それからタクシーを呼んで、なんとか乗り込んだけど、着いて降りてからはダンナ1歩も歩けず、車いす・・。
えーー!この1.2日の病気の進行にビックリする。
そして、面談しかしてなかったので、まず診察に待たされ、その後CTを撮ったり(ダンナ曰く、体の向き一つ変えるのも、すごくしんどかったらしい。)昼過ぎに、やっと入院病棟へ。ギリギリまでホスピスを拒否していた弊害が、ここに・・。
その後私が呼び出されて医師から聞かされたのは、もう1週間しかもたない・・と。話ができるのは2.3日だから、誰か会いたい人がいれば呼んでくださいと。
そんなドラマみたいなこと、本当に言われるんだ・・と思った。
(しかしダンナはまだこの時点でも、痛みのバランスを取り、肺をなんとかすれば、元気になれると信じていたので、悟らせないことに気を遣った。)
でもやはり医師の言葉通り、寝たきりながら話が出来たのは、2.3日。その後土曜からあまりにも息が苦しくなりすぎ、本人も「もうダメだ!(苦しい)眠らせてください。」と、眠剤を入れられ、眠ったままとなる。
(本当は土曜からホスピスの部屋が空いたので、一般病棟からそちらに移れるハズだったのだが、思ったより早く重篤な症状になり、リスキーだからと移れなかった。)
なので、最後に交わした言葉は無かった・・。
9/8は、台風15号で、夜、病院の窓がガタガタいってた。
9/9、木曜から病院に通っている娘たち二人が帰って、泊まりこんでいた私がさてシャワーあびて寝るかな・・と思っていた時、看護婦さんがすーーっと寄ってきて、
「心音が弱ってきてます。今夜あたりかもしれません。そばにいてほしい人がいれば、呼んだ方がいいです。」
なので、娘二人を慌てて呼び寄せた。(丁度家に着いたところだったが、また電車に乗りタクシーで来た。)
そして1時過ぎ・・ダンナが息してない?と思って見てたら、
また看護婦さんがすーーーっと入ってきて、
「いよいよかもしれません。手を握ってあげてください。声を掛けてあげてください。」と言われたが、
なんだか、現実感なく、ぼーーーっとしたままの親子3人、立ち尽くしていただけでした・・。
そして最後の時が。
リバース!(好転)
前に日記書いた頃は、ホントツイてないことばかりで追い詰められてましたが、
2月中旬から、こんどはシンジラレナイ僥倖を受け、運命はリバース。
(主にダンナの病状のことですが。)
まあ根本的に治ったわけでは無いので、ほんの先送りでしかないかもだけど、
それでもまた日常が与えられたことは、有り難いです。
春になったら桜も見られるし、娘の卒業式・入社式も見とどけられ。うまくいけば新元号へもオツキアイ出来るし。本人の誕生日も。そしてラグビーのワールドカップも見られるかも(ダンナ、あまり興味は無さそうだが)。
もう今の医学では有効な薬が無いといわれたのが前年の9月で。そのため10月サードオピニオンに他病院まで足を運んだけど、結局同じ答え。
でも進行に任すのが嫌で、運命に抗いたいダンナは、12月新薬の治験に参加、だけど期待空しく、1月病状悪化で打ち切りに。
1月下旬から2月上旬は底。
こういう風に弱っていくのだなぁと、目の当たりに。
で2月始め。あまりオススメできませんがと提案されたのが、
1年前くらいに、重篤な副作用を起しかけたため中断した抗がん剤をもう一度使ってみましょう(ダメモトで)と。
悩みました・・副作用でもっと辛い病状になる可能性もあるわけで。
でも結局、うつ手はそれぐらいしか無く、
そしてその抗がん剤が効果を発揮して、今に至るで。
明けましておめでとうございます!
明けましておめでとうございます!今年もヨロシクお願いします。(←これ書いているの1/17です。)
今年はそんなわけで、あまりのバタバタ年越しで、年賀状を1枚も出さず(喪中じゃないよ・・)。みなさま、申し訳ありません。
一応年賀ハガキは、100枚買ったんだけどなぁ・・。
はてなダイアリーサービス終了にあたり、
ここの日記も、続きを書くためには、ブログへ移行しなくてはいけなくなりました。
たいした日記ではないですが、やはり無くなると寂しいから、移行する予定です。
今年もありがとうございました!
総括すれば、
下の娘は、半信半疑な内定と、卒論の名の下のウダウダ生活。
やっとこ内定と言ってくれた所に出会い、「もう就活イヤダー!」と就活をそこで即刻辞める。
彼女曰く、売り手市場なんて、嘘だ(笑)!と。
(決まるタイプはいっぱい決まるが、決まらないタイプは永遠に決まらない。)
ダンナは、9月段階で、使える抗がん剤がもう無いと言われ(それ以前に使ったモノでは、どれも効果が見られなかった)、
じゃあどうすれば?・・普段の生活を大事に、自然に任すことです。と返され・・・えーー!と。
イケイケドンドンのダンナには、辛い宣言。
諦めきれず、セカンドオピニオンに癌研有明(10/3)に行った(私もついて行った)けど、言われた文言は、ほぼ同じ。
ただそこで、そんなに何かしたかったら、治験でもやればいいのでは?とお医者さんに言われ。
治験受けるには、今治療を受けてる国立ガンセンターが一番可能性が高いと言われて、病院へ戻る。
で、申し込むと、本当に治験が回ってきて、
11/26から、12/28と、ダンナ入院。(治験は、入院必須。そう決まってるんだって。)
そして私。
ダンナ1ヶ月入院は流石に初めてで、不安な所もあったけど、
案外安心できるところもあって、毎日築地市場駅(ガンセンター)に通いながら、都内をほっつき歩いてました。
11/27宝塚劇場宙組(日比谷)/11/30日本橋三越「夜回り猫展」(日本橋)/12/1〜3母の米寿のお祝いで帰阪(大阪)・12/3帰り道娘を連れてガンセンターお見舞いに寄る(大門で乗り換えて)/
12/5世田谷文学館筒井康隆展(芦花公園)/12/6ランチ(六本木)/12/11・13歯医者/12/12・19織物体験(根津)/
12/13映画「日々是好日」(イオンシネマ)/12/17再び「夜回り猫展」&コレド室町(日本橋)/12/26着付け教室
などと、出不精な私にしては珍しく歩き回りました。