せわしない日常

超個人的、日常雑記のブログです。

 頭の中、着物のことばかり・・2

すいません。この話、しばしのお付き合いを(笑)。

まあそんなわけで、着物だけの話に関わらず、親世代から引き継ぐものというのは、
ありがたい半面、厄介な部分もあるのかなぁと、そんなことを感じました。

私が不満に思って愚痴りたいことは、すべて母への不満に繋がるわけで、
そういうのはまたブーメランのように、我が身にも返ってくることは十分考えられるわけで(今度は私が娘に言われる番)。
気を付けよう・・。

昨日は、色の偏りについて愚痴りましたが、
次に困っているのが、その着物のダメージ度合です。
若いころ私に作ってくれた小紋や振り袖は、結構季節ごと干してくれてたからダメージも少なく、文句も言いにくいんだけど・・。(そして着て無いから、皮脂汚れは無くて、綺麗。おかげで、娘にも着せることが出来ました。)

でも母の着物は、かなりのダメージ。
これは良いものだ・・もうお前の好きにしていいから・・などと言われて渡されても、その裏地である胴裏や八掛が、染みだらけだと・・着る気失せます。
そんなわけで、母の付け下げを、洗いに出して胴裏替えてもらうことにしたら・・5万円也でございました。
でもソレ、ピンク色で、私が着るか?と尋ねられたら、うーーむと悩んでしまう着物です。サイズ的には、母と私は身長が同じ位で、ぴったりなのですが。
そしてそれだけにとどまらず、他にもまだ、洗いに出したいのがあって悩んでます。
母がすそに染みをつけ、そのままにしている、江戸小紋。(どうやら、染みつけてから、着ることもなくなり、ほとんど手入れもされてないのではないか?)でも、この赤っぽい色、私は似合わない。でも惜しい。などと葛藤。そして捨てる勇気は出ない。
・・ああ、際限がない!
そしてお金を出すたびに・・なぜ私はこんな負担をしてるのだ?本来これは、母がやってくれてたってよかったはず。と沸々と不満が湧いてくるのでありました。
某しつけ付きの着物を、三越で××円もしたのよと自慢するくらいなら、そのお金を、メンテに使ってくれてた方が、よっぽど嬉しかったのにーーっ(まあ、時代がバブルだったし、どんどん消費の時代だったから、しょうが無いですかね。私もそうだったかと思うから。)


母は、基本着物などはクリーニングに出す必要はないと、若いころの私に教えました。
着た後に干して、たとう紙に入れて桐のタンスにしまっておけば大丈夫・・と。
まあそれも、あながち間違いでは、ないのですが・・。(洋服のようにいちいちクリーニングに出す必要がないという意味で)
でも、もっと長いスパンのお手入れがあって、それをするともっと長持ちするということがあるわけで、そういうところを、やっていて欲しかった・・なぁ。
実は先日、母から借りてる長襦袢をチラシで見かけた和装専門の所に丸洗いに出したら、めっちゃふっくら綺麗になり(2千円也)嬉しくなりました。
そうなんだ・・丸洗いで、こんなにきれいになるんだ。もっと早く出せばよかった、と。
なんせ・・着付けの先生のお手に触れるのが申し訳ないほど、汚れてたので。
今は、家で洗える長襦袢などが出ているので、もし自分の為に買うとしたらソレにしたいな、とは思ってますが。


という言うようなことがありました・・。でも多分、まだ駆け出しの序章に過ぎません(笑)。


実は私、まだ自分用の長襦袢持って無いのです。(母のを借りてます。)
いろんなこと教本などで学ぶと、自分の体にぴったりの長襦袢を拵えることこそ、まずはじめの第一歩で、
その土台があって、そこにまたサイズのあった着物を誂える・・というのが順番だと。

でも私は真逆。長襦袢の無いままに、母が勝手に(笑)私の分の着物を誂えていたわけで。
そりゃあ、協力的ではなかった私が悪いのだろうけど、誂えてもらうだけありがたいのであろうけど、でも!
なんだかすごく腑に落ちないのです。
いざ着ようとしても、これじゃ着れないじゃん!と。

そして後から長襦袢仕立てようとしても、大きさをうまく合わせないと、着物が合わない惧れがあるじゃん!と。
そう、昔の着物は、結構小さく仕立てられているので。

実はサイズに関しては・・なぜか道行コートの袂の長さが合わないという問題も勃発しておりまして。
1寸くらいは、許容の範囲内なのか、どうなのか・・。
直した方が気持ちいいけど。

母が砂浜に適当に蒔いた砂を拾い集めているような気分になっております・・(笑)。