せわしない日常

超個人的、日常雑記のブログです。

 中島みゆき「銀の龍の背に乗って」

聞けば聞くほど、今年に相応しい曲。
でも暮の紅白には、みゆきサン出なかったし、他の歌手によって歌われたのは「時代」
「時代」もいい曲だけど、もうちょっと後になって歌う方がいいような・・という違和感がぬぐえず。
銀の龍の背に乗って」は、龍年だけに相応しかったと思うんだけど、Dr.コトーのイメージが強すぎるのかなぁ。

あの青ざめた海のかなたで  今まさに誰かが痛んでいる
まだ飛べない雛(ヒナ)たちみたいに  僕はこの非力(ヒリキ)を嘆(ナゲ)いている

急げ悲しみ 翼に変われ  急げ傷跡 羅針盤(ラシンバン)になれ
まだ飛べない雛たちみたいに  僕はこの非力を嘆いている

夢が迎えに来てくれるまで  震(フル)えて待っているだけだった昨日

明日(アシタ)僕は龍の足元へ  崖(ガケ)を登り 呼ぶよ 「さあ、ゆこうぜ」

 銀の龍の背に乗って
 届けに行こう 命の砂漠へ
 銀の龍の背に乗って
 運んでゆこう 雨雲の渦を

失うものさえ失ってなお  人はまだ誰かの 指にすがる
柔らかな皮膚しかないわけは  人が人の痛みを聞くためだ

急げ悲しみ 翼に変われ  急げ傷跡 羅針盤になれ
まだ飛べない雛たちみたいに  僕はこの非力を嘆いている

綿ボコリみたいな翼でも  木の芽みたいな頼りない爪(ツメ)でも
明日僕は龍の足元へ  崖を登り 呼ぶよ 「さあ、ゆこうぜ」

 銀の龍の背に乗って
 届けに行こう 命の砂漠へ
 銀の龍の背に乗って
 運んでゆこう 雨雲の渦を

んで蛇足。
昔に聞いた時から、「運んで行こう 雨雲の渦を」の歌詞がもうちょっと違えばいいのになぁと思ってた。
砂漠に、水を運んでいく という意だろうけど、
雨雲は荒れた天気を連想するし 渦も禍と字が似てて、不幸なことを運んで行くイメージを感じてしまって仕方ない(私だけかもしれないが・・)。

運んで行こう 天地(あめつち)の恵みを  では、うーん、イマイチ音にのらないか。。(かなり考えたんだけどなぁ)
天地の 欠片を
天地の 滴を
           (しつこい・・)