せわしない日常

超個人的、日常雑記のブログです。

 いまそこにある美しさ

ときと共に、美しさを感じるココロが摩耗してきているから、本当の美しさに気づかない、、ということなんだろうな。
もともとは、現代詩が何故人々の口にのぼらなくなってしまったんだろうと、そんなことを考えていたんだが、、
コトバをつきつめない、簡単な楽なユルイ(アルイミ美しくない)言葉がのさばる。
つきつめていくのは苦しい。いろんなものを損なうだろう。
しかし楽なモノに慣れて鈍っていく感覚で過ごす日常は、ただ暗闇を歩くようなモノ。日蝕ダイヤモンドリングの一瞬のキラメキを目に留めることもできないんだろう。
そんな中でも、何かを表現しようと研ぎ澄ました日々をおくっている人はいると思うが、
受け取る人がいなければそれは理解されないということか。きっとホンモノにとっては不遇な時代でもあるんだろうと。
そんなことを考えてた。

トコロデ、
美しい・・美しい・・とここ数日うなされていたのは、
上の子の合唱祭のことでした。
何せ学校の方針で、一昔前のカッコしてる女子学生が一堂に会して、その姿だけでも充分美しいのだが、、それがまたクラスごとに一致団結猛練習しているので(何かに一生懸命になっている姿って美しいよね)みんなすごく上手で。全員で歌った校歌の美しさなんて、涙ボロボロモノでした。久々感動しました。秋頃からずっと朝練で早起きも辛かったけど(親も・・(笑))、、この一瞬に報われたね。

にしても一昔前の女学校の(うちの母以上の年代だな)美しさを彷彿とさせたね。こーいう美しさだったんだろうね、多分。そして失われていくモノへの、切なさが。

そして今の時代に再現することは、
作られた美しさ、学校の外に向かう宣伝と穿った見方することもできるけど、
やっぱ美しいものは美しい。滅び行く懐古趣味だわって言われても、、なぜ無くしてしまったのか、それが悲しい。
多分、うちの母以上の女学校生徒はみんな美しかったと思う。男子生徒が通学路でドキドキしても仕方ないよね。でも、今ノコも美しくないわけじゃないんだよーアルイミ昔の女学生より装うことが上手でキレイな子は多い位だろうし、
でも、みんな美しいというのとは違う。方向性が。本当の女性が持つ美しさってこういうものなんだよね。
社会全体で再現しろとは言わないけど、今一度思い返してみて欲しいとも思います。