せわしない日常

超個人的、日常雑記のブログです。

 ゆとり教育について

なんか最近は目の前の子どもに怒ってばかりの日記なので、たまには時事ネタについて書いてみる(ちょっと遅れてるけど)。

ゆとり教育については、まだ結果も出ないうちに撤回というのはなんだかなぁ・・と思う。悪い面ばかり強調されてしまったが(学力低下という・・)、良い面も評価されるべきと思う。
うちの子の学校でも、最初は確かにその時間をどう使うかということにとまどいもあったようだが、何年かたってやっと、老人ホームとの交流とか調べ学習とか、各学年が頑張って企画して作り上げていったものが根付いてるので、これが全部無くなるのか・・と少し残念な気がする。
だけどこれに関して、真剣にやっている先生とやってない先生に対する評価システムが無い。なので先生によるモチベーションの落差もすごいものがあろう。(かといって真剣にやっている先生が生徒にとって迷惑なこともあるので、みんな真面目にやれと一概には言えないところが教育の面白い所ではあると思うが(^^ゞ。)だからゆとりの時間をそれぞれにゆだねるより、画一的に管理する方が官僚的で、上からのお達しにはなじみやすい。なので制度として戻るのも当然かなぁと気がする。
ただ、ゆとりを導入したコトにより逆に、詰め込み教育が全面的に悪というのも違うかったんだよな(^^ゞと気づいた点は良いのかも。基礎が無いと、その上の学習にも深みが無くなってしまう、それは確かなようだ。

じゃあどうすればいいんだと問いつつ、結局学校にすべてを期待するのが無理な時代なのじゃないかと思う。
ゆとり教育と言いつつ、先生に一番ゆとりがなくなってしまって、それを見守る保護者にはもっとゆとりがない・・ということが問題で。
基本の学力は押さえつつ、放課後クラブや地域との関わり、もっとオプションを増やしていくことが必要なのかなぁと思う(^^ゞ。
・・
でもさあ、こどもが一人歩きもできない社会に誰がしたの?そっちの方が問題だよ。(学力低下よりもある意味根の深い、社会性の欠如という問題につながってくると思うのだが)